まずは、自己紹介致します。私は、ミャンマーのヤンゴンで生まれ、12歳の時に、家族と一緒に日本にやって来ました。日本にいる年数の方が、今年で、ミャンマーにいた年数よりちょうど倍になります。
日本の方が長いですが、親と話す時はミャンマー語なので、ミャンマー語は忘れていません。また、日本語ミャンマー語の通訳や翻訳の仕事もしていたので、会話だけではなく、読み書きも出来ます。日本人にミャンマー語を教え、ミャンマー人に日本語を教えた経験もあります。そんな私の自分が日本語を習得した時、この方法が良かったなー、これは役に立ったなーといった経験を盛り込んで、ビルマ語を教えて行きたいと思います。
アジアのラストフロンティアと言われるほどミャンマーには様々なチャンスがあります。そのチャンスを掴むには、現地の言葉が出来た方が有利だと思うので、皆さん一緒に頑張りましょう。
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2016年4月からは、娘も一歳になりましたし、ミャンマーもアウンサンスーチー氏率いる民主勢力が選挙で圧勝し、本格的な民主主義国家になり始めたので、以前よりも仕事が多そうと見込み、休んでいた『日本語ミャンマー語(ビルマ語)通訳・翻訳、ミャンマー語教師、ミャンマー関連セミナーや講演会の講師』の仕事を再開しました。
そのため、育児と家事に加え、仕事まであり、もとから殆ど更新出来ていない当ブログは、更に更新出来ない可能性もありますが頑張ります。
簡単な経歴紹介
1979年2月25日、ミャンマーのヤンゴン生まれ
1991年に家族と共に来日
ミャンマーでの最終学歴 ミャンマーの言い方では、8年生終了(日本での学年にすると、中学校卒業)
日本での最終学歴 夜間中学校に通い、都立忍ヶ岡高等学校を経て、文化服装学院卒業
28歳の時に結婚し、現在は一児の母として子育てに奮闘中
日本語レベル : 日本語検定1級合格
通訳・翻訳歴
夜間中学校に通い始める前に、日本語学校で日本語を学んでいたため、ある程度出来るようになっていました。そのため、十代の頃から所属していたビルマ人ボランティアグループの活動の一環として、日本語が出来なくて困っているビルマ人の人達に日本語ビルマ語通訳翻訳のボランティアをし始めました。内容としましては、家探しの際の不動産屋とのやりとりや病院でのやりとり、役所や職場でのやりとりなどなどでした。
専門学校に通い始めた時期からは、通訳・翻訳が出来る事が徐々に広まり、仕事としての依頼も入るようになりました。
明かせない内容も多くございますが、一部を紹介しますと、電通や入国管理局、ユネスコ、法律事務所、テレビ局、難民支援協会や輸出入会社などの組織単位だけではなく、アーティストや旅行者などの個人単位での通訳・翻訳まで多岐にわたり仕事させていただきました。
内容も、難しいもので、入国管理法改正時の翻訳から、国際会議や講演会、商談での通訳はもちろん、留置所での取り調べや接見時の通訳、裁判所に提出する書類の翻訳、病院での診察や手術時の通訳、万博会場でのガイドを兼ねた通訳、ビザ申請時の書類翻訳、テレビ番組の通訳・字幕制作、取材時の同行通訳、受賞式での付き添い通訳などだけではなく、旅行の同行ガイド通訳や歌詞の翻訳、ラブレターの翻訳まで多岐にわたり仕事させていただきました。